趣味ブログ-古代史

blog02

2024.01.10   趣味ブログ-古代史

古代の地形について

大阪の谷町四丁目にある大阪歴史博物館に行ったことはありますでしょうか?
この博物館はかつてあった難波宮の上に建っているのですが、下の写真が展示の最初の方にあります。
ここで表しているのは、縄文時代中期ころ(約5000年~4000年前)は大阪平野の大部分は河内湾(海)だったということ、そしてその後砂洲により弥生時代中期ころ(約2000年前)には河内湖になり、古墳時代中~後期ころ(約1600年~1500年)には淀川や大和川によって運ばれた土砂によって大阪平野の原型があるものの、まだ河内湖が存在し、それが交通上重要な意味があることです。
私はこの事実を知った時、目から鱗が落ちる気持ちになりました。古代史だけではありませんが、歴史を考える時に、その当時の地形を理解していることが如何に大事かということです。
百舌鳥古墳群にある仁徳天皇陵古墳や履中天皇古墳等の巨大古墳は外国からの船に日本の力を示すために海から見えるように作られたのだと昔習いました。習った当時はそうなんやくらいしか思っていませんでしたが、当時の地形が分かっている今はなるほどと思います。仁徳天皇陵古墳の南にある御陵通を西に歩いて行くと少しずつ下っており、更にその西は築造当時海だったと想像ができるのです。
古代史の中では、邪馬台国論争が終わりのない話題ですが、当時の地形から考えてみるとまた違った見方ができるのではと感じています。
超余談ですが、今日テレビを観ていると、先日の能登での地震で液状化現象が起きた場所に関連して、南海トラフ地震が起きた時に大阪で液状化が起きやすいマップが出ていましたが、古代に河内湾だった所とほぼ一致していました。

ページトップへ矢印